“普通”という名の高い壁に苦しむ人々。「..で、普通って何なの?!」に迫る。

組織の中でよく使われる、”普通“というワード。「普通は〇〇だよね」と言いますが、その基準ってなんだろう?と言うテーマを今回記事にしました!

同調圧力で固められてきた”普通”への道

人々には十人十色の生き方があり、その個性が生きてこそ豊かな人間関係が築かれていきます。

しかし、その”普通”と呼ばれる固定観念に縛られて苦しむ人々も大勢います。

日本人に多い性格の特徴として、”みんなと一緒の枠に収まることで、安心感を得る”という概念があり、枠からはみ出ると、「悪く言われてしまう」「組織から省かれてしまう」などのリスクを懸念していることが多い。

このような、【集団で同じ事をするべきだという見えない圧】の事を、同調圧力と呼びます。

世の中で権限を握っている側の人達は、人々に規制や思考に疑問を持たれたくないと思っています。

声をあげられるとスムーズにいかなくなってしまいますからね。

そういった権力者からの無言の圧を受けたり、狭い組織で生きていく時に、少数派はこのような行動をとります。

  • 意見が違ってもNOと言わない
  • 行きたくないのに我慢して参加
  • 損しているのに断らない
  • 自分らしく振舞えず、合わせてしまう
  • 本当の自分を隠す

そうして同調してきた側の人達は、ストレスで押しつぶされています。


もうひとつ、同調圧力のケースをお話します。

例えば、人生コースの普通の定義を一般的な感覚でまとめてみると、

  1. 生まれてくる
  2. 義務教育を受ける
  3. 友人ができる
  4. 恋人ができる
  5. 義務教育を卒業する
  6. 大学卒業する
  7. 就職する
  8. 子供ができる
  9. マイホームを買う
  10. 老後生活を送る

と、ざっくりいくとこのような感じでしょうか。

時期や内容にばらつきはあるものの、だいたいはこういったシナリオが、人生のテンプレートとして王道化しています。

もちろん、そうしたいと願って着地した場合は、達成感に満たされ、幸せになれる事が多いでしょう。

が、「なんとなく親に言われた通りにした」or「 周りと同じだと安心だから自分もそうした」などの理由で”普通“の道へ流されることもしばしばあるようです。

これは、世間からの同調圧力でもあります。

このような「こっち側にいないと恥ずかしいぞ」的な感覚は、私たちのほとんどが通過する義務教育の中で少しずつ刷り込まれてきたものなのです。



教師から受信する義務教育ワードは、多感な時期の子供の脳に焼き付けられやすい。

特に定番のこちらの教訓は、誰もが聞かされたことでしょう。

  • 友達がたくさんいたほうがいい
  • みんなと同じようにできるが優秀
  • “我慢強く”が美徳
  • 正社員になったほうがいい

特に「○○しなさい」とはっきり言われたわけではないけど、何となく「〇〇しないと、ちゃんとした人になれない」という潜在意識は、当時権限を持った大人達からの発言で出来上がっていくのです。

“ラインオーバー”を無視できない日本人の心の仕組

さて、同調圧力についてお話したように、多数派に無理に合わせられるのは、とても生きづらいものでしょう。

とは言っても、その選択は自分の意志で積み上げてきたもの。

時間が経ってから「○○のせいだ!」と憎しみを訴えた所で、何も変わらないのも現実…

本来、人生の課題は自分で決めるものであり、他人が指示する事ではありませんが

同調圧力の他に、第三者から根拠のない規制を強制される事があります。

この事を、心理学用語でラインオーバーと呼びます。

これは大人社会の話だけでなく、幼少期から、親子の間でもざらにあることなのです。



たとえば、子供が本当はサッカー部に入りたいのに、医者の両親は自分と同じ道を歩ませたいために、サッカーをさせずに医療の勉強を強いる。

それだとか、地下アイドル活動に反対し、「就職しなさいよ!」というのも、”親からのラインオーバーを受けている”ことになります。

おまけに世間体を気にする親は、「普通はみんな〇〇だよ!」と、”普通は”ワードを使って攻めてくる場合もあります。

こうして、本人の孤立感と恐怖を煽ることで、説得に成功する確率を高めにかかってるのです。

ラインオーバーを無視できる人は、自分のやりたいことに自信をもって進めるし、真に受けて合わせてしまう人は、後々ハードモードの人生になってしまうことがあります。

というのは、ストレスで生きづらくなったり、精神疾患(うつ病、適応障害、パニック障害、双極性障害など)を引き起こしてしまう、などのことです。

そうなると、治療を受けてもすぐには元通りの生活を送れませんし、長期に渡る心のケアを要することになってしまうのです。

【自分軸か、他人軸か】

たった一つの判断が、長い人生の分岐点になるとは思えないかもしれません。

ですが、ジレンマを抱えたまま生きると、心を壊してしまうことは難しくはないのです。

自分を抑圧してまで、多数派に入ったメリットが、数年経っても不透明であり、

後からどんなに自分の個性を尊重しなかった事を後悔しても、時間は戻りません。



本当に普通でいたいですか?

よく耳にするのが、個性を認められない、とか、自分が変わっていることがコンプレックスだとかいう意見です。

普通とは、どんなに偉い立場の人間でも決めることのできない基準であり、その人が変わっているかどうかは、その場で多数派なのか、少数派なのかで決められます。

Aのコミュニティでは変人扱いされても、Bのコミュニティでは多数派だったりするのです。

もしくは、多数派に合わせれば、普通の部類に属することができます。

しかし、仮に一時的に多数派に属しているように見えても、それは本当の幸せなのでしょうか?

さらに砕くと、多数派に属する為に使ったエネルギーや、本当の姿でない自分を好いてくる人たちといつまで付き合うことができるのでしょうか。

そして、それを無理して続けて生きることへの対価ってなんでしょうか。

考えるほどに、自分を偽ってまで普通でいる事の価値の無さに気づきませんか。

相手に認めてもらうことを強要するのは個人のエゴでしかないですが、自分がどうありたいかを決めるのは、全くもって自由です。

誰かに合わせることで、自分を無個性にしてしまうと、本来自分が持っている素質が発揮できなくなります。

せっかくのあなたの価値を周囲と同じ色で上塗りしてしまうなんて、勿体ない!

普通になるにはどうすればよいか、ではなく、どうすれば自分のままで生きやすくなれるのか、が最も向き合うべき課題なのかもしれません。

マイノリティは、”安心したいレイシスト”の餌食

組織の中で過ごすと”みんなの基準に沿った普通”でない人を馬鹿にする群衆もいますが

組織に蔓延る見えない抑圧の本音は、誰かの不安や劣等感

なので、そういったものを受け取らないスキル、流されない意思の強さが、自分らしく楽に生きるためのカギなのです。

そして、これらは自信の無い人達がやってしまいがちな自己肯定感up法です。

学校で起きるいじめなどが良い例。

誰か一人を貶めて、安心感を得る、とか、人を見下して日常の虚しさをごまかす優生思想は、劣等感の裏返しです。

そう、差別された方は自分を責める事がありますが、本当は相手の問題なのです。

自分がしない事はもちろん、そうした行為を真に受けないようにしたいですね。

個性を差別するのは、人としての価値をサゲる行為だと認識しておきましょう。

その他大勢と少し違うだけで悪のように扱う人物に出くわしたら、早急に距離を置いたほうが良さそうです。

「個性が大切だから!」と言って、群れの中で自分中心すぎると、降りかかる災難も増えるし、無駄に敵も増えます。

我儘と我が道を行くのは別

周りの仲間とある程度やっていくには、主張のバランスを考える事も大事ですね。

その上で、心の声に素直に耳を傾けると、抑圧されていた感情に優しくなれるかもしれません。


まとめ

【普通って…?】に関するまとめ

“普通”の絶対的な定義は存在しない
個性を消すのは、自分の価値を下げる事に等しい
“ラインオーバー”をスルー出来れば生きやすい
浮いているかどうかより、自分が今いる場所の認識が大事

 

“普通”って簡単に言うけど、考え方も生きてる場所も違う人からしたら、合わせるのはだいぶハードル高いよね。
【みんな一緒な事】ではなく【個性を尊重する事】こそがプライドであって欲しいよね。